何も無い自由
最近はスマホもパソコンも多くの人が持っているようになったがそれに縛られているように感じる
私自身の場合はスマホを使わないようにした時の方が集中して作業が出来るし集中力が上がった気がする
便利な道具があるとついつい使いがちだが、たまにはそういったものから離れて生活してみると言うのも必要なのかもしれない
いつまでもスマホとにらめっこしていては疲れてしまう
使うとしてもダラダラ使うのではなく、時間や目的を明確にして使うのが良いだろう
スマホに使われるのではなく、使う側としてそういった認識があったほうが良いのではないか
そのような認識が薄いから最近ではどちらがリアルの世界か区別がついてないような犯罪が報道されるのではないだろうか
便利な道具をきちんと使いこなすために、私たち自身が成長しなければならない
おそらくだがそういった風に考えていないとAIに仕事が奪われてしまう人が出てきてしまうのではないか
今後私たちとAIとの付き合い方もそうなっていくのか非常に興味深い
人類が働かなくても良い時代が来るのだろうか
それとも、もっと違った未来があるのだろうか
いずれにせよ楽しみだ
ガス欠
今日は驚くほど疲れがあって何もする気力がわかなかった
完全燃焼したというかガス欠で動く力が出なかった
暇という風に考えるまもなくずっと寝てすごした
昨日引越しをしたのでその疲れが予想以上に出た
この歳になってようやく独り暮らしが始まるが容量が分からず無駄なことがまだまだ多い
仕事が始まる前までには何とか慣れたいがどうなることやら
しかし不安よりも楽しみが大きくあるので気楽にやってこうと思う
今日は本当に力が出ないのでこのぐらいにしておこう
引越しについて股後日まとめるとしよう
しかしここまでの完全燃焼したのは中々無い
心地よい疲労感があるので良かったのかもしれない
しっかり寝てまた明日から力を入れていこう
やる気をなくす前に
何かをやらなくちゃいけないのはわかっているのに中々腰が上がらないときがある
朝早起きしたいけど眠い、部屋を片付けないといけないけど面倒だ
などなど私たちの生活には行動を起こさないと解決しない小さな問題がたくさんある
こうなったときどのように行動するのが良いか、最近気付いてきたのでまとめようと思う
そもそもやる気が出たらしようと考えるのがまず間違えで、行動を起こしてからやる気というのが出てくるので先ずは行動しなければならない
しかしやる気がないと動けない人は多いだろう、私もそうだったがあることを考えるようになった
何かをやるかどうか考えている間に、人間はやらなくても仕方ない理由を必死に見つけているような気がした
ようするに私たちは
やらない自分を正当化して守っているのだ
例えば朝早起きが出来なかったときは、今日は寒いから明日早起きしよう、部屋の片づけをしなくても、今日は疲れているから、それっぽい理由を見つけてやらない自分を正当化する生き物だと気付いた
何故そのような風に考えてしまうのかというと、本能的に無駄なエネルギーを使うのは生命維持に関わるし、予期せぬアクシデントにあうかもしれないと防衛本能にも近い反応が出ているのではないか?と考えるようになった
簡単に言えば人間はナマケモノということだ
それを踏まえたうえで対処するには
やらない理由を思いつく前に行動すると言うことが大切だと気付いた
とにかく行動するしかない、そこになぜ?や理由は無くただ純粋に身体を動かして行動する
それさえしてしまえば後は勝手に身体が動いてくれる
頭で考えるよりもこういった直感的な行動の方が私にはあっていたので
思い立ったらすぐに行動するようにしている
こういった風に自分をもっとコントロールしていけばよりよい人生になるだろう
私はまだまだ成長できる
今後が楽しみだ
やる気復活
最近気が抜けてボーっとしてしまうことが多かったが
今日は積極的に行動できた
何が要因かはまったく分からないがいつもと違う場所に行って違うことをしたのがいいリフレッシュできたのかもしれない
何がきっかけで調子が上がり下がりするのかまだつかめていないが基本的には予定が詰まっているときの方が気が張って集中できるけどそれがあまりにも続くと体調を崩しやすくなってしまうとい間を上手いことコントロールするのが今後の課題になりそうだ
あとこのブログも日付が変わるぎりぎりに書く癖がついてしまっているのでたまにはゆっくり時間を取ってちゃんとした内容をかけるようにしたい
ついつい後回しにしてしまうのを直さないとな…
とりあえず入社までは毎日更新すること、出来るだけ早い時間帯にちゃんとした文章で書くようにしたいと思います
少しずつだけど文章を書くのも慣れてきたのでもう少しまともなことをかけるように、私にしかかけないような体験を交えたものも書けたらと思います
まぁ、気楽にやります。
言語化
昔からどうでも良いことを頭の中でこねくり回して考えてしまう癖がある
例えば自分の感情の動きを言語化することが難しいのはなぜか?とかしょっちゅう考えてしまう
好きだ嫌いだと言う感情は直感で思うことで理由を考えてもいまいち明確な答えが出てこない
それっぽいものを見つけてもそれは後付だったり少し的外れだったりする
なぜ人は言葉に表せない感情を抱くのかとても不思議だ
自分のことなのによく分からない
とても気になるので誰か答えを知っている人がいたら聞いてみたい
感情の話だと小さい頃は少しのことでも大きく感情が動いた
喜びも悲しみもはっきりと覚えている
人は感情に結びつけると忘れないと言うがそれだと時間がたつのを早く感じてしまうのは自分の中で感情が動かず忘れてしまっているのではないだろうか
人間なれることは良いことだが、目からうろこを落とすような経験はいつの歳でもしてみたいと思う
その為にも新しいことにドンドン挑戦していかなければならない
立ち止まっていては記憶から忘れてしまう
進み続ける中でしか私は生きられない
ゆっくり立ち止まるのが少し怖く感じる
いつか立ち止まっって後ろを振り返ったときに自分の人生が良い人生であればいいなと思う
今はまだ振り返るときじゃないな
思い出に浸るのは後の人生にとっておこう
疲労
どんなときに疲れを感じるだろうかと考えてみたが恐らく何日も暇で何もしていない時が1番疲れているかもしれない
予定が詰まっている時より疲労度が高く感じる
暇なのが苦痛なのだろうか?こうして長期休暇に色々考えているとやはり人は人と関わりを持っていないと生きていけないということだ
衣食住があり、自分が属するコミュニティーがないと人間らしい生活が出来ないことに気付いた
忙しいときには休みが欲しくなるし、長期休暇だと暇な時間が出てしまう。
なんとも贅沢な悩みだと思う
ダラダラすごすことに苦痛を覚えるようになった
言いようの無い不安、焦り、恐怖等が暇なときに急に襲ってくる
何かに飢えている気がする、それが何なのかはまだ分からないが、おそらく私は働くと言うことに強く飢えている
今すぐに働きたい、といってもこんな学生が新人として出来る業務なんてほとんど無いだろうし、働き出したら休みが恋しくなるかもしれないが今のところは働きたいのでそれに向けた準備をコツコツ進めていこう
働き出したときに何を感じるのか楽しみだ
車の免許
この時期になってようやく車の免許を取ることが出来た
去年の夏には自動車学校を卒業していたのだが学科試験を受けるのを面倒くさがって後回しにしてこの時期まで引き延ばしてしまった…
学科試験を受けに行くためにバスや電車を乗り継ぐのはお金と時間がかかるので友達に車で送ってもらい無事に受験して合格することが出来た
試験会場の免許センターには多くの人がいて、免許更新だったり、試験を受けに来た人で慌しかった
平日しか免許センターが開いていないので社会人の人たちはどうやって来ているのだろうか?疑問に思ったが3年後には私も免許更新に来るのでその時に分かるだろう
しかしあらためて思ったのは免許センターまで行くのにも、行った時の手続きも全て時間がかかりすぎると言うことだ
もう少し簡略化できないのだろうか
あるいはこの時代ネットが普及しているのだから、自宅のパソコンで更新や手続きを出来るようにすれば良いのにと強く思った
何故そうしないのか?
色々な問題が出て不可能なのか、あるいは自分たちの仕事をAIに取られたくない大人のエゴかは分からないが免許センターのあり方はもう少し考えて欲しい
機械化が進めば他のことに時間が避けるのでより自由に過ごせるので誰も困らないと思うがどうなのだろうか?
そしてこれからは全自動の車も出てくるだろうし、そうなったら免許そのものが必要ではなくなるのだろうか?
全自動車で事故が起こったら誰が責任を取るのだろうか、メーカなのか?乗車している人なのか?
まだ先の話だとは思うが、車は私たちの生活に深く根付いているので大きな社会問題になるだろう
今の段階で分かることは、新しい知識を学び続けなければ時代においていかれると言うことだろう
気付いたら自分が被害者、あるいは加害者になっていたでは笑えないので
社会の流れにも着目しながら勉強していきたい